神田ってどんな街?

神田ってどんな街?

1. 神田を知る


1.1 神田の由来
 神田の名前の由来は、皇太神宮の領地であったため、神の田という意味から。
 江戸時代、神田と呼ばれる地域は広く、神田川をはさんで北側を外神田、内側を内神田と呼びます。もともと内神田が神田でしたが、江戸城拡張に伴い、神田明神は神田橋御門から駿河台へ、さらに元和二年(1616年)に現在の地に移転し、町屋もそれにともなって移転したようです。したがって、神田駅は神田橋には近いですが、神田明神は御茶ノ水駅のほうが近いです。

ところで秋葉原は....
 秋葉神社があったことから。
 明治に入ってから度重なる火事の鎮火神社として創建されました。明治21年秋葉原駅建設のため台東区松ヶ谷に移転しています。なお、向島にも秋葉神社があり広重「名所江戸百景」91景になっていますが、秋葉原駅の由縁とは別です。写真は電車男で有名になった万世橋。


1.2 神田の歴史
 神田の起源は明らかとされていませんが、大化(646年ごろ)以前から存在したと考えられています。7世紀後半に律令制が整備され、田地が口分田などの班田収授の体系に組み込まれていっても、神田(および仏教寺院の運営にあてる寺田)のみは、班田の対象外とされました。これは、神田および寺田が、神社や寺院の所有物ではなく、神仏に帰属するものと認識されていたことによります。そのため、神仏に帰属する神田・寺田の売買は禁止されていました。
 8世紀に成立した大宝律令・養老律令では、神祇令・田令などに神田の規定が置かれました。それによると、神田を耕作するために、神戸(神に帰属する戸)が設定され、神戸にかかる租庸調は、神社の造営・運営経費にあてること、そして6年1班の班田収授の対象から除外することが規定されていました。すなわち、神田は不輸租田(租税が免除された田地)とされていました。
 神田を不輸租田とする観念は、平安時代の荘園の増加につながっていきます。9世紀~10世紀に律令制が崩壊した後も、神田には不輸の権(租税免除の権利)が認められていたため、墾田や買収などで付近の田地を集積していた田堵(有力農民)=開発領主は、自分の経営する田地を有力な神社(または有力寺院)へ寄進することで、不輸の権を獲得しようとしました。そのため、有力寺社には荘園の寄進が集中しました。
 その後、11世紀~13世紀ごろに荘園公領制が成立すると、荘園や国衙領の除田(じょでん、免税田を意味する)の一つとして神田が位置づけられました。神田にかかる年貢・公事は、領主の収入とはならず、神社の祭祀・祭礼の経費にあてられました。こうした慣行はその後も続き、現代でも多くの神社で神に供御するための田として、神田・御神田が存続しています。


1.3 神田の地名
 現在、神田を冠称する町名が多く見られるのは、千代田区発足時の町名変更の名残です。
 1947年に神田区が麹町区と合併して千代田区が発足する際、神田区内の町名にはすべて「神田」を冠称する町名変更がなされました。(例、神保町を神田神保町に、岩本町を神田岩本町に変更。ただし、東神田と西神田だけは町名変更しなかった。)
 神田区の名前が消滅することを惜しむ住民の声に行政が応えたとも、麹町区と神田区に同じ町名(平河町)が存在するための便宜上の措置だったとも言われています。
(ただし、過去には「神田」を冠称する町名と冠称しない町名が混在しており、「神田」を冠称するものについては1911年にすべて省く町名変更が行われました。したがって、神田を冠称する町名が千代田区発足時にはじめて誕生したわけではないです。)
 
「神田」を冠称する現町名 「神田」を冠称しない現町名
神田相生町、神田淡路町、神田和泉町、神田岩本町、神田小川町、神田鍛冶町、神田北乗物町、神田紺屋町、神田佐久間河岸、神田佐久間町、神田神保町、神田須田町、神田駿河台、神田多町、神田司町、神田富山町、神田錦町、神田西福田町、神田練塀町、神田花岡町、神田東紺屋町、神田東松下町、神田平河町、神田松永町、神田美倉町、神田美土代町 内神田、外神田、西神田、東神田、岩本町、鍛冶町、猿楽町、一ツ橋、三崎町


1.4 神田出身の著名人
幸田露伴:作家 吉川良:作家 小栗虫太郎:推理作家 城昌幸:推理作家
鈴木しづ子:俳人 其角:俳人 高濱年尾:俳人 山尾三省:詩人
高橋義孝:ドイツ文学者 星由里子:女優 浅香光代:役者 渡辺文雄:俳優
三宅裕司:コメディアン 松旭斎天勝:マジシャン 佐野元春:歌手 古今亭志ん生(5代目):落語家
鈴木春信:浮世絵師 小林征治:画家 河野鷹思:グラフィックデザイナー 山本晋也:映画監督
半田稔:映像評論家 山本コータロー:歌手 鏑木清方:日本画家